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伊勢本街道 猿沢池から大神神社ウォーキングコース歩く旅人

猿沢池から大神神社 約18kmの行程

集合場所 「近鉄奈良駅」

行基像前 10:00出発 (集合9:50)

近鉄奈良駅行基像

猿沢池 (さるさわいけ)

池の西ほとりを反時計回りに歩き南の端には2基の常夜灯がある。さらに率川に架かる石橋をわたり旅は始まる。(この時、川を見てほしい。)率川を渡ると今御門町で古い町並みを今でも残している。道も土色をしており景観保存に奈良市が力を入れているのがわかる。少し進むと左手に猿田彦(道祖)神社がある。博打の神様として有名らしい。この辺りは近世の建物が残っており法連格子の残る家も見られる。

猿沢池(さるさわいけ)

元興寺 (がんごうじ)

左側に元興寺塔跡。祟峻元年(558)に法興寺(飛鳥寺)として飛鳥に建てられたが、平城遷都に伴い霊亀2年(716)奈良に移り元興寺と名を改めた。当時は南都七大寺の一つとして東大寺に次ぐ寺格を誇る寺院であった。

元興寺(がんごうじ)

元興寺郵便局 (がんごうじゆうびんきょく)

奈良市内で最も古い郵便局。昭和63年(1988)に建て替えられ現在の局舎となる。

元興寺郵便局(がんごうじゆうびんきょく)

京終 (きょうばて)

能登川が平城京の南端でこの辺りを京終と呼ばれ現在もこの地名が残されている。その能登川を渡ると右側に常夜灯が2基立っている。共に文政13年(1830)銘になっており、向かって右側のものは「金毘羅大権現」、左側のものには「天照皇大神宮」「春日大明神」「八幡大菩薩」と刻まれている。現在は並んで設置されているが本来道路に対面して立っていたと推測する。京終を過ぎると民家は途切れて、田畑が続く。

京終(きょうばて)

帯解寺 (おびとけてら)

岩井橋から約2km、地蔵院橋を渡ると帯解寺駐車場の看板が見える。すぐ先に山門が現れる。帯解という地名は「帯のように長い峠」を意味する「帯峠(おびとうげ)」からと考えられている。寺伝によると平安時代、文徳天皇の皇后の出産が遅れていた時、春日明神に祈ったところ、当寺の地蔵菩薩に祈願するようにお告げがあった。早速当寺に祈願し無事出産したことにより、後に帯解寺と称するようになった。

帯解寺(おびとけてら)

蔵の庄 (大和棟の住宅)

帯解をすぎ約1km「(株)サンリース関西」の看板の手前に流れる水路が奈良市と天理市との市境である。ここより天理市入り蔵之庄大橋(菩提仙川)を渡ると大和棟が並ぶ集落となる。大和棟は屋根型に特徴のある家屋先に獅子や鳩、あるいは七福神の鬼瓦を置く。

蔵の庄(大和棟の住宅)

櫟本 (いちもと)

櫟本という字もなかなか読めない。地名であるが櫟は「くぬぎ」と読めるらしい。菩提仙川を越えて、楢神社の大きな鉄版を巻いた鳥居がめずらしい。角の道標には「右 なら 左たつた みち」と読みとれる。櫟本は上街道と竜田道との交差点にあたり、交通の要衝として発達した集落であった。この道標も元の場所から移されたもので、今では方向が合わなくなっている。

櫟本(いちもと)の鳥居櫟本(いちもと)の道標

在原神社 (ありわらじんじゃ)

名阪自動車道の高架下をくぐり約100m。西川靴店を左へ入ると在原神社(在原寺)がある。平安期に在原寺として創建されたが、明治9年(1876)に廃仏毀釈により神社となった。

在原神社(ありわらじんじゃ)

丹波市 (たんばいち)

国道25号線を横切り丹波市町に入りしばらく歩くと、一部だけ残されたようなアーケード状の木造屋根が見えてくる。ここが丹波市跡でその名は夷社を丹波国より勧請したという伝承によるとあった。元来天理地域はこの丹波市が中心であったが国鉄桜井線天理駅が昭和40年(1965)北方へ移されて以来衰退が始まった。

丹波市(たんばいち)

市座神社 (いちざじんじゃ)

丹波市の市の神として信仰を集め、おかげ参りをする人たちの接待所でもあったようだ。境内には「天保元年太神宮」「文化八年藤堂家御武運長久しく願主油屋長蔵」「文化四年扇屋彦四朗」と刻まれた常夜灯や、丹波市町道路元標が残されている。

市座神社(いちざじんじゃ)

三昧田 (さんまいでん)

丹波市をあとにして上街道を歩くと家並が切れ右手にはJR桜井線が並行している。池のほとりに「史跡岡田為恭遭難之地」と刻まれた石碑がある。岡田為恭(おかだためちか1823~64)は幕末に活躍した画家だが尊攘派に幕府側謀者であるとされ暗殺された。東には、龍王山から三輪山へと続き、とても歩きやすい。街道が右の曲がるところに小公園があり芭蕉の句碑が立っている。うっかり見逃してしまうので注意が必要だ。「草臥れて宿かる比や藤の花」歩き草臥れて、そろそろ宿を借りなければと思っていたところある家の門辺に、夕暮れの色にまぎれず紫色の藤の花が咲いている。それが旅にあるものの侘びしい心に染入るばかりだった」と暮春の旅情が詠まれている。

三昧田(さんまいでん)芭蕉の句碑

大和神社 (おおやまとじんじゃ)

句碑から300mで国道と交差、さらに南下し再び国道と再交差後400mほどで右手に大和神社の参道が現れる。奥に長くトイレはその先にある。「戦中は世界最大を誇った「戦艦大和」の守護神として祀られました」と神社の由緒に上がっている。

大和神社(おおやまとじんじゃ)

五智堂 (ごちどう)

柳本の集落に入ると、山辺の道にある長岳参道の入り口に五智堂と呼ばれる鎌倉時代の珍しいお堂が建っている。このお堂は直径63㎝もある太い心柱一本で宝形造の屋根を支えている。傘を開いたような形から笠堂とも呼ばれ、また四方のいずれもが正面であることから真面堂とも呼ばれている。

五智堂(ごちどう)

巻向 (まきむく)

天理と桜井の市境が巻向である。町並みには、柳本のような民家は見られず比較的新しい家屋が並んでいる。兵主(ひょうず)神社鳥居前に巻向村道路元標がある。さらに200m先の島岡駅前酒店を右に入るとJR桜井線巻向駅がある。

巻向(まきむく)

箸墓古墳 (はしはかこふん)

JR巻向駅を出発し国道168号線の高架の下をくぐり国道に沿って歩道橋がある。南の方向が東へと向うと箸墓古墳がある。日本最古の前方後円墳とされ、被葬者は(やまと ととひ ももそひめ)といわれている。

箸墓古墳(はしはかこふん)

大神神社 (おおみわじんじゃ)

大鳥居がすぐに目につく。昭和61年(1986)の建立で、高さ33m。大神神社は別名三輪明神(みわみょうじん)ともいいわが国最古の神社とされる。祭神は大物主命(おおくにぬしのみこと)であるが、三輪山そのものが御神体で、山を拝む古代信仰の姿を今に伝えている。

大神神社(おおみわじんじゃ)

解散場所 JR三輪駅

16:00解散予定

2013年01月13日